わたし・久保田雅人(くぼた・まさと)のまわりで起きた「あんなことこんなこと」・・・。
全国でのイベント裏話や名物・名産、身の回りでのささやかな「出来事」をお話していくつもりです。
お読み頂いたご感想やご意見もお寄せください。
登場人物は、ひょっとしたら、「あなた」かもしれません


もう春4月、春の真っ只中です。
温かくなって、ほっと和む・・いえいえ、あわただしい旅の日々で、
旅先では、ぼんやり・・呆然とするような出来事も起きています。
今回は、うんちく話二題と俳句を一句 ... 。



これが、阿波踊りのモニュメントです...

2009_04_01
 
例年に無い桜の開花便りに驚いている今日この頃ですが、
いかがお過ごしですか。
私は、相変わらずの旅の日々です。
そこで春を訪ねる旅をして・・・いるわけもなく、ただ慌しい旅ばかりです。
そんななかでの四国の急ぎ旅のお話を今回は、ご紹介しましょう。

久しぶりに徳島市にお伺いいたしました。
ちょうど1年前にお伺いしたときも
大阪でのイベントの終わりでバスで徳島に入りましたねえ。
バスは、大阪市内、神戸と大渋滞地域をやっとこさ抜けて、
淡路島を通り、徳島に至りました。
それに比べれば今回は、
羽田から飛行機で一直線で乗り込めるのでその点は、楽ですねえ。
その上、今回は、非常に珍しくこの移動の前に仕事は無く、
自宅から、羽田空港に行けばいいだけです。
いや〜うれしいですねえ〜。
なにしろ毎年の事ながら正月以降ほとんど休みが取れません。
今年もごたぶんにもれず、
ここまでヒーヒー言いながら毎日をこなして来ましたので、
ここで少し休めるのは、本当にありがたいことです。
朝寝坊して、なんとなくダラダラして、
さあ〜行こうと家を出て、駅に到着しました。
そこで、なんとなく不安というのか胸騒ぎを覚えました。
皆さんも覚えがあると思います。
な〜んか忘れているような気がしてしょうがない、
はっきりと何というわけでもないけど、
なんとなく、そんな気がしてしょうがない。
そんな思いをしたことがあるでしょう。
その時の私がそうでした。
思わずバックを道端に下ろし、中身を確認するのでした。
衣装、よ〜うし。帽子、よ〜うし。靴、よ〜うし。
メガネ、よ〜うし。今晩の着替え、よ〜うし。
うん、大丈夫か、気のせいだったか・・・・って、
チケットがないじゃんか!
昨夜もちゃんとチェックしたはずなのに!
慌てもしたし、愕然としたのも事実です。
俺もいよいよボケがきたか?とも思いました。
とにもかくにも急いで家に戻ることにしました。
家に戻ると、机の上にちょこまんとチケットがいるではありませんか。
それを引っつかむと駅へと舞い戻り、
やっと羽田空港に向かうことが出来たのでした。
本来なら、余裕で向かえる筈だったのに、
電車の中で何べんも時計をちらちら見てしまう私。
あ〜、こんなはずじゃあなかったのに〜、
羽田空港でのんびりコーヒーでも飲んで機上の人になるはずだったのに〜。
それでもモノは、考えようで、
羽田空港でチェックインの時に忘れたのを気づいていたら、
もう、どう〜仕様も無かったけど、
あそこで気づいたからよしとしよう、などと考え、自分を慰めたのでした。
ほぼギリギリの状態で乗り込んだので、
他のスタッフ一同、どう〜したの?という視線を浴びせました。
いや〜その〜あははははは。誤魔化す私なのでした。

  徳島までは1時間20分ほどのフライトで、無事、到着です。
徳島空港の前に阿波踊りのオブジェがあります。
これって、単純に名物阿波踊りをオブジェにしたのかと思っていたら、
数年前に公開された映画「眉山」を記念したものであることを
今回初めて知りました。

ここでちょっとウンチク話。
阿波踊りは、阿波一国の大名になった蜂須賀家の殿様が
徳島城のお国入りの時に城下の市民がそのお祝いに踊ったのが、
その始まりだといわれております。
そして、その蜂須賀家とは、豊臣秀吉の一代記「太閤記」では、
盗賊の頭だった蜂須賀小六が、その祖なのです。
蜂須賀家は、江戸時代を生き抜き、
明治になって華族(貴族のようなもの)になりましたが、
「太閤記」での盗賊話があまりにも有名で、
華族の祖先が泥棒では、格好が付かない、ということで、
当時の有名な学者に頼んで、
あらためて祖先が武家であるという家系図を作ってもらったとの事。
もちろん、内容は、作り話で満ちていたとか。

  さて、徳島の夜は、ホテル内のお店で食事をして、そのまま寝ました。
翌日のイベントには、大勢の皆さんが来て下さってありがとうございました。
徳島のイベントは、無事終了。
次回は、同じ四国の愛媛県松山市ですので、
JRで松山に向かえる・・・・わけはなく、東京に帰ります。
同じ四国に居ながら、
一度、東京に戻ってから改めて四国の松山に行くのです。
毎度の事ながら、あははははの移動です。

  徳島から羽田までのフライトは、なんと、55分でした。
いや〜飛行機って本当にいいもんですね〜。
東京での仕事も無事に終え、今度は、松山に行きました。
その前夜の荷物チェックは実に慎重且つ、綿密に行いました。
特にチケットは、いつになく慎重にやりましたよ。
松山への便に乗る前に東京駅のみどりの窓口によって、
松山以降のチケットの乗車変更や新規の購入をしていたら、
あらま〜またまた時間がなくなってしまったではありませんか。
急いで浜松町でモノレールに乗り継いで羽田空港に向かいます。
前回ほどではないものの、慌しい移動となってしまいました。
空港で心静かにコーヒーは今回も果たせず、機上の人になりました。
松山の夜は、日本食を堪能しました。
近頃、私共は、日本料理を食べることが多くなり、
油っこいものも食べなくなりました。
例えば、以前なら鳥のから揚げやてんぷらなどを
次々と注文していたのですが、
今やもずくや冷奴、酢の物などが多くなりましたねえ。
そのうち、やわらかい=おいしいになっていくんでしょうねえ
〜いやだいやだ、歳は、取りたくないです。

  今、NHK松山は、
今年の秋から放送が始まる「坂の上の雲」のPRが盛んです。

ここでウンチク話パート2。
「坂の上の雲」の主人公の一人でもある正岡子規。松山の人です。
詩人としても有名ですが、野球でも有名です。
この野球という言葉、英語のベースボールにこの字をあてたのが子規です。
子規の本名がのぼる、野のボール(球)、
だから野球という漢字をあてたと言われてます。
また、デットボールに死球、フォアボールに四球、など野球用語を作ったのが、
正岡子規です。
ですから、その貢献が認められ野球殿堂入りもしています。
また、松山は、俳句が盛んです。
街のあちこちに俳句を書いて、投じる箱を見ます。
みんなで、書いてみようという事になったのですが・・・
普段から、そんな高尚なことをしたことも無い連中ばかりですので、
結局、な〜んも浮かばなかったのでした。
実は、私、こんな句を考えてました。

花と見ゆ 集まりし子の 笑顔かな   わくわく

な〜んちゃって。
松山のイベントは、3回公演でした。
その3回目にちょっとしたハプニングがあったのです。
ゴロリくんが本番でコケました、
それも、客席から丸見えの場所でもんどりうつように転んでしまったのです。
一回転したと思ってください、そんな転び方でした。
私も見たことの無い転び方で心配より唖然としました。
膝をすりむいた程度の怪我でたいしたことはありませんでしたが、
一瞬、客席もスタッフもシーンと静まり返ったのを覚えています。
その回のお客様は、ある意味、すごいもの、いいものが見れたのは、事実です。
そんなこんなでイベントも終了し、
松山見学をすることなく、東京に戻ります。
前回の徳島といい、今回の松山といい、
いやはや、なんとも慌しい四国の旅でした。



阿波踊りのモニュメント その2...



本当に和食が多くなりました
ま、体にはいいのかなあ〜




大変、おいしかったです



食事中の私、半分、酔ってます
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