わたし・久保田雅人(くぼた・まさと)のまわりで起きた「あんなことこんなこと」・・・。
全国でのイベント裏話や名物・名産、身の回りでのささやかな「出来事」をお話していくつもりです。
お読み頂いたご感想やご意見もお寄せください。
登場人物は、ひょっとしたら、「あなた」かもしれません

この「日々つれづれ」、これまで24年の舞台裏を、
すこしずつご紹介しています ... 今回は、その36回目!
今回は、「もったいない」 ... にからめて です ....。


今回も画像はありません

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 今年も慌ただしい正月でした。初詣から帰ったら荷造りをして、羽田空港へ。午後の飛行機で高松へ飛んで、2日に高松でイベントをして、そのまま大阪、京都、立川、世田谷とイベントが続く日々でした。そのせいか、雑煮は元旦の朝だけでした。私、雑煮が大好物でして、年中食べても大丈夫な体の持ち主です。雑煮って作るのが結構面倒なようで、かみさんにも「ねえ、作って〜」とあまり言えずにいるのでした。

 今年もかくのごとく慌ただしく始まりまして、あちらこちらにお邪魔しています。このところ親子工作教室が多いのですが、参加された方はお判りですが、わたし、参加の皆さんの中をぐるぐる回って、工作の手伝いなどもしています。親子さんの目の前で画用紙を切ったりするわけですが、私の技術だけでなく、「わくわくさんのハサミってものすごくきれるんですねえ。」と驚く方が多くいらっしゃいます。えー、はっきり申しまして、私が使っているハサミは、500円程のもので、イオンの文具売り場で買ったものです。これホント。自宅で作業用のものは、番組で使っているものと同じもので、これは、番組の造形アイデアのヒダオサム先生から放送開始直前に自宅でも練習して、このハサミに慣れて欲しいと頂戴したものを22年間愛用しております。このハサミですら、私の記憶違いでなければ、3千円ぐらいです。つまり、それほどいいもの、値の張るものを使っていません。私が欲しいと思ったハサミが無いわけではありません。鋼から手打ちで鍛え上げ、研ぎ澄まされた切れ味が最高のハサミが欲しい時期がありました。もちろん、それなりの値段でしたが、「切るのを商売とする者、それぐらいのもを持っていて当たり前!」と考えました。が、一つ問題がありました。そうしたハサミは、常日頃からきちんと「研ぐ」必要があります。私に限らず、ハサミをちゃんと砥げる人はそうはいません。専門のお店、つまり刃物屋さんに出さなければならないということです。「刃物屋さん」しかも「ハサミの砥ぎまでやってくれる刃物屋さん」なんて近所にありませんよ。ということは、しょっちゅうハサミをどこか遠くに砥ぎに出さねばならないということになり、自宅の作業に大きな支障をきたすということです。これらを考えて、どうしても高価なハサミを使うことに踏み切れなかったのも事実です。

 ことハサミに限らず、今の時代、なんでも「修理」や「手入れ」ができない時代になりました。皆さんのお近くの商店街で、「修理をしてくれる時計屋さん」ってありますか?もうほとんど残ってないでしょうねえ。先日、我が家のテレビの調子が悪くなったので、買った近所の電気屋さんに修理というのか、とりあえず、見に来てもらいました。買ってから8年程しかたっていないテレビなのですが、画面の色が変に緑っぽくなったりするのです。修理のお兄さん曰く「今すぐに見られなくなることはありませんが、修理が必要なのは確かですよ。部品交換で2万円ぐらいです。でも、これに1万円足して、3万円出せば、これと同じ大きさの新品が買えますよ。」ということでした。これこそ、今の日本の現状でしょう。私の子供頃は、近所に修理をしてくれるお店がたくさんありました。鋳掛屋さんが、週に一度は回って来たし、電気屋さんでスタンドを直してもらったこともありました。直せるものはとことん直して使う、日本の文化はどこに消えたのでしょうか。新しいものが買えないという貧しさが背景にあったかもしれませんが、物を直していく過程でいろんな技術の伝承や物の大切さを子供たちに自然と教えていったのも事実です。

 私の番組では、様々な身近なものを使って、様々な工作を子供たちに伝えることを使命としてお送りしておりますが、その中で、一つの工作物からの発展形や次の利用方法を紹介しております。これは、「次の発展や転用を考える思考の大切さ」の伝承でもあります。使い終わったからといって簡単に捨てるより、それを修理し、また次の利用法を考えることの大切さ、素晴らしさを子供たちに伝えたいのです。

 この文化の伝承が日本人が培ってきた本当に物を大切にするという文化です。「もったいない」という言葉を教える前に「物を使い切る文化」を教えてください。工作教室や工作ショウで私が紙をただくしゃくしゃに丸めただけで「もったいない」と言う子供が多くなりました。これが悲しいのです。「もったいない」という意味を大人が伝えていないもっとも顕著な事例です。私が紙を丸めたのは、工作の一過程であって、それを見て、「もったいない」と言うのは、子供たちは日頃、紙を丸めただけで「あら、もったいないことしないで。」とでも親に言われているんでしょう。ここが違うんです。子供たちが紙を丸めて、何もせずに捨てたら、そこで初めて、「もったいない」と怒るべきなのです。使えるものを使いもせず、直しもせずに捨てることが「もったいない」ということだ!これを子供に伝えなければならないのです。言葉だけでは、伝わらないことがたくさんあります。実際に経験したり、生活の中で体験することで伝わることもたくさんあります。直しもせず、修理をしてくれる店を探しもせず、ちょっと調子が悪くなったからと言って捨てたり買い変える生活しか経験させないでおきながら、「もったいない」という言葉だけを教える愚かしさに気が付いてください。それが私の願いです。





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