わたし・久保田雅人(くぼた・まさと)のまわりで起きた「あんなことこんなこと」・・・。
全国でのイベント裏話や名物・名産、身の回りでのささやかな「出来事」をお話していくつもりです。
お読み頂いたご感想やご意見もお寄せください。
登場人物は、ひょっとしたら、「あなた」かもしれません
今回は、梅雨の鹿児島でのお話です。

鹿児島空港にできた足湯です

2006_07_01

 じめじめしたこの季節、何をやるにしてもうっとうしくていやになります。
ステージでは、すぐに汗まみれになって、身体は、べとべと。
この前など、本番中に子供から
「わくわくさんって、汗臭い。」とまで言われてしまった。
そんなこの時期に、鹿児島県鹿屋市に行って来ました。

  鹿児島は、梅雨の真っ只中で、
私が行く前日も横殴りの大雨をニュースで見ていました。
「こりゃ、えらいこっちゃ。明日、飛行機、飛ぶかなあ・・」と
心配してしまうほどでした。
翌日は朝から生憎の雨。
でも、飛行機はダイヤの乱れもなく、飛んでくれました。

  雨雲を抜ければ、そこは、素晴らしい青い大空が広がって・・・いたはずです。
実は、私、その時、窓際に座っていたのですが、
飛行機が離陸する前から寝てまして、気がついたのは着陸のアナウンスでした。
座席に座ったその瞬間に寝いいってしまい、
窓の外などナ〜ンも見ずに鹿児島に着いてしまった、という次第でした。

  鹿児島は、今にも降り出しそうな黒い雨雲が空を覆っていました。
「こりゃ、明日は、大雨だな。」心の底からそう思いながら、
力なく暗い空を見上げました。
迎えの車で一路、鹿屋市に。
途中の景色は、由緒正しき日本の田舎が続き、田んぼに畑に小川に林、
ずっと昔から、ずっとこのまんまなんだろうなあ、と思える風景が続きました。
  ホテルに着いて、一休み。夕食時の話題も明日の天気のこと。
その時点で、もう外は雨がじゃんじゃん降っていたのです。
「さっきの天気予報でも、明日は、70%の確率で大雨だそうですよ。」
「う〜ん、この時期の鹿屋じゃしかたないか。」そんな会話が終始続く。

  なんで、私が雨にこだわるかというと、
明日は、幼稚園で親子の工作教室を行うのだが、
雨の中、子供を連れて来る親御さんの苦労を思うからです。
雨の日は、その園に通おう園児だけを連れて出かけるだけでも大変なのに、
場合によっては、その下の赤ちゃんまで
連れて来なければならない親御さんのことを思うからでもあります。
私など雨の日は、子供づれでなんて出かけませんでしたよ。
雨の日、子供に合羽を着せて、長靴を履かせて、
さあ行こうって時に限って「おしっこ・・」って言うのが多いこと!親としては、
めんどくさいなんのってありゃしない。
今着せた合羽を脱がせ、長靴をぬがせ・・
皆さんもわかりますよね、その状況というものが。
「なんとか、晴れてくれんもんかなあ・・・でも無理だのなあ」
そう思いつつ、眠りました。

  翌朝、どのくらい降ってるのかを確かめるためにカーテンを開けると、
そこには、思いもかけない風景がありました。
雨がやんでいました。曇り空ながら雨は、一滴も降ってないのです。
驚きました。降水確率70%なのに降ってないのです。
「いや〜よかったよかった。」と、言いつつ車で会場の保育園へ。

  ホテルから10分程で到着。
と、そこには、またしても、思いもかけない情景があった!
保育園の軒下に数多くのてるてる坊主がぶら下がっているではありませんか!
それも全部のてるてる坊主が
「わくわくさん」に似せてあるではありませんか。
赤い帽子に黒いメガネで、どれもみんな私にそっくりに作ってあるのです。
大きなてるてる坊主に小さいてるてる坊主、
子供たちと先生方が心を込めて一生懸命に作ったのが、
ひしひしと伝わってきました。
今日の天気は、子供たちが創ってくれた天気だったんだと、
気がついた時の私の嬉しさといったら、なんと言ったらいいのか、
何物にも変えがたい心のこもったプレゼントを頂いた気持ちでした。
本当に嬉しかった。暗い空に一条の明るい光を見る想いでした。
この子らがいる限り、日本の将来もまだまだ捨てたもんじゃない!
そこまでは、言いすぎですが、そのくらい嬉しかったんです。
皆さん、本当にありがとう。 
その日の工作教室は、いつも以上に賑やかに、
楽しく行えたのは、言うまでもありません。 


時間の都合上、僕は入れませんでした

どう、僕によく似てるでしょう

これが、そのてるてる坊主です


こんな素敵な貼り絵までいただきました

昔の日本人って、物凄い執念とこだわりと技術をもって、田んぼを作ったか、ということです。
鹿屋に向かう道すがら、いろんな所で、いろんな形の田んぼを見ました。こんな狭い所にどうやって耕したんだろう、と思う田んぼがいっぱいありました。
でも、この風景は、ここに限った風景ではなく日本の田舎に行くとよく見かけます。
ほんの数株しか植えられない、そんな隙間の土地にも田んぼを造り、稲を育て、米を作り続けて来たんですよ、日本人は。
何百年もそうやって田んぼを創り、米を作ってきた日本の文化と技術には、本当に頭が下がります。
すこしでも多くのお米を作りたい、その思いを現在の私達は、どこかないがしろにしているような気がします。
いま、こうして、ごはんをいっぱい食べれるのは、多くの人々のそうした努力があってこそなのだということを思い直さねばならない。
私は、鹿児島の山の中の田んぼを見て、思い直したのです。
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