2014_08_01
今、この原稿は和歌山県のホテルで書いております。
実はこのようなことは初めてです。これまで原稿はすべて自宅で書いていたのですが、今回は自宅からパソコンを持ち出して旅先で書いている次第です。というのも先日以来パソコンを人生で初めて持ち歩くようになってしまいました。ただでさえ荷物が重いのにさらに荷物を増やすことになってしまったのですが、家に帰れない日が多くなってきてしまったのでどうしようもない状況になってしまった結果なのです。
その上、私のパソコンは、やや古い型のものでして、今主流のものよりやや大きくて重たいパソコンを使っていて、それを持ち歩いております。私のアシスタントは、「もっと薄くて軽くて、久保田さんのよりもっと性能がいいのがいっぱい出てますよ。それに買い換えたらいいんじゃないんですか?でもまあ、使いこなせるのかという問題もありますね、えへへへ。」と笑顔で言うではありませんか。う〜ん、一理あるなあ。しかし、どことなく、そこはかとなく嫌味を感じてしまうのは私だけだろうか。言葉の端端に感じる前期高齢者を馬鹿にする嫌味を感じるのだが…。
まあ、それはともかく、もっと軽くていいものが出ていることぐらいは私だって知ってますよ。それに、そういったものに買い替えた方が私自身が楽だってことぐらいは感じてますよ。でも、どうしてもそこに決断がいかないんだなあ、これが。どうしてだろう?今使っている、今まさにこの文章を書いている、いや、打っているこのパソコンに愛着というのか親しみというのか、なじんだこの機械に別れを告げることができない何かが私の心の底にあるんです。
キーボードのキーの一つ一つになじんだ私の指先が別れを惜しむかのような感覚、全てにキーの隙間ににじんだであろう私の汗と涙の全てが私に決断をさせることをためらわせているのではないのか、などというわけのわからぬことを考えてしまうのであります。
この歳になると、新しい機械の操作や入り組んだ機能を憶えるのが一苦労なもんでどうしても新しいものに切り替えるのがためらってしまうのであります。「だからジジイなんだよ。」と言った今そこの君、ここに正座しなさい!いいか、よ〜く聞きなさい!ものを本当に大切にするということは、自分の体になじんだものを壊れたら修理をして使い、また壊れたら修理をする、これを繰り返し、とことん使ってあげるのが、ほんとにものを大切を大切にするということなんじゃ。特にパソコンのような高価なものであればあるほどに修理を繰り返してでも使ってあげることが大切なんじゃぞ!あれ?言い方までジジ臭くなった。
まあ、言い方はさておき、ものを大切にするという姿勢を自分が忘れた時、私たちの子供に「もったいない」ということはできなくなります。自分が実践しているからこそ、発する言葉に自然と重い意味と実感がこもるんです。自らが何もしていなければ、発する言葉に重みも無ければ、その言葉の持つ本当の意味も伝わるわけがない。私は日頃、大勢の方にものの大切さを語る機会が多いのです。だからこそ、自分がものを大切にする日々をおくなればならないと思ってしまうのです。
とここまで来て言うのも変ですが、物を大切にしたくてもできなくなっていることを実感しております。つまり、修理ができないんですよ!私の実体験ですが、我が愛用のハサミ(愛称:正宗)の切れ味が悪くなった時のこと。私にとって正宗は無くてはならない体に一部とさえいえる大切な道具。ところが、砥いでくれるお店が無いんです!近所のスーパーの前に来る包丁などを研ぐのを生業とするおじさんに聞いても『いや〜、ハサミはやらないんで。』とあっさり断られました。そう、修理をしたくても修理ができないんです。
またこんなこともありました。カメラ用の三脚のネジが1本折れた時の話ですが、そのネジが無いとカメラを載せても三脚の高さが固定できないのです。そのネジさえ変えれば、まだまだ十分に使える三脚なのです。私は買ったお店に行って事情を説明して、そのネジだけを買おうとしたのですが、そのネジが売ってないんです。「それじゃあ、ネジだけ取り寄せてください。」と言ったところ、「実は、このネジがどこで扱っているかわからないんですよ。」「え?ということは、三脚は買い換えなけりゃだめってことですか?」「はい、まあ、そういうことになります。」ネジを1個変えれば済むことが、できないんです。その三脚は、はっきりと言いますが、東南アジア製の安いものです。ですのでネジがどこのもので、どこに注文したらいいのかがお店も解らないということなのです。
安さに目がくらんで買った三脚の結末がこれというお話です。う〜ん、このことからも解るように本当に嫌な時代になったもんで、買う方にも問題があり、売っている商品にも問題があるといういい例ではないでしょうか。安さだけで決めるのはもうやめる時代にしましょう。自分が最後まで使い切れるものを見極める目を持ち、その上で買って、修理を繰り返し、とことん使いきってあげるという心を持つべき時代にしたいものです。
追伸。その後の正宗ですが、自分でできる限りの手入れをしつつ愛用しております。