2007_04_01
久しぶりに難しいイベントをやりました。
3月の初旬、栃木県岩舟町、壬生町にお伺いをして、その地にゆかりのある
『円仁上人』にちなんだ工作ショウと工作教室を行うというものでした。
『円仁』っていったい誰?
おそらく、これを見ていらっやる99%以上の方が思ったことでしょう。
円仁(794〜864)
平安時代の天台宗の僧。比叡山に入り最澄に師事。
838年、遣唐使となり、入唐。
847年帰国し比叡山に戻る。
854年、第3世天台座主となり、天台宗の密教化に貢献した。
その死後、慈覚大師を諡号として賜る。
と、まあ、早い話、昔の偉い僧侶なのでありまして、
その方面では、大変有名な方なのでありますが、
一般の人には、あまり知られてはいない歴史上の人物なのであります。
日本史の教科書にも載ってはいないかもしれません。
岩舟町、壬生町は、それぞれ円仁ゆかりの地として、
地元の小学校では副読本で円仁の業績を子ども達に教えています。
今年、県の博物館で円仁に関する展示会も予定されているのです。
これらの関係もあって、今回のイベントとなったのですが、
私のところにお話が来た時、
「どうしたら、このテーマでイベントができるんだろう」と、
それは、それは、深く悩みました。
まずは、円仁をテーマにしたオリジナル絵本を作り、
それをお見せした後に「遣唐使船」を作る工作教室を行うことにしました。
円仁の修行時代から遣唐使となって日本海の荒波を超えて、唐に渡り、
その後、日本に帰国、比叡山で弟子の教育にあたるまでを
かいつまんで私のオリジナルの工作絵本で見せ、
絵本の中で紹介した「遣唐使船」を親子で作ってもらったのです。
なにが大変だったかって、まずは、円仁についての調べものからはじまって、
絵本のストーリー作りに、絵本本体の作製、「遣唐使船」の作り方を考え、
参加者の材料の手配に、サンプルの作製などなど。
あまり有名ではない歴史上の人物について調べるのは・・・・
実は、大好きなのです。
なにを隠そう、私、その昔は、日本史の先生になるべく
大学で日夜勉学に励んでおりました。
歴史が勉強したくて大学に行きたかったのですが、
父は、大反対だったのです。
「日本史なんぞ勉強したところで将来、なんになるんだ。
政治経済学を勉強しろ、その方が将来、きっと役に立つ。」
「いやだ、どうしても日本史が勉強したい。歴史学科しか受験しない。」と、
強硬な態度の私。怒る親父。
「だったら条件がある。お前がそこまで言うのなら、
自分が選択した講義、単位を一つでも落としたら、
学費その他全部をとめる。それでもいいか。」
「解った、それでもいい。」
こんな話し合いの結果、条件を受諾して、希望の史学科に進んだのでした。
ですから、大学に入ってからが大変だったのです。
なんせ生活が掛ってますから。
留年なんてとんでもない話で、
一つの科目も落とせないという、ある意味、極限の状況でして、
はっきり言って、受験生の時よりも勉強しましたよ、これホント。
その結果、大学2回生の時に特待生に選ばれてしまったのです、これホント。
一度納めた一年間の授業料を学生課で全額、現金で返還してくれたのです。
これならいくらあの頑固親父でも褒めてくれて、多少の小遣いぐらいは、
この中からくれるだろう、と思ったのですが、
「よくやった、全額戻せ。」ビタ一文くれませんでした。
「よくやった」その一言でおしまい。これもホント。
そんな、私が4回生になって卒業の時期に、
突然、「役者になりたい」なんて言い出したものですから、
親父はまたまた怒り大爆発、「出てけ!」・・・勘当されました・・・。
こんな私ですので、歴史上のことを調べるのは、少しも苦にはならないのです。
それなりに自宅にも日本史の資料もありますし、
昔取った杵柄、調べるのはお手の物。
自慢じゃあないけど、イベントスタッフが驚く内容のものを仕上げました。
私が作ったオリジナル絵本は、イベント終了後、
岩舟町、壬生町、県の博物館の三者が取り合いになったほどです。
いや〜苦労した甲斐がありました。
こんなところで学生時代に勉強したことが役に立つとは、
思ってもみませんでした。
何がいつどんな風に役に立つかわからんもんですねえ。
勉強はしておくもんだと、つくづく思います。
今でも、歴史は、自分なりにですが、勉強を続けていますし、
一生続けて行きたいものです。
今回のお話は、歴史について、書いてみました。
円仁という歴史上の人物と私という人間のささやかな歴史を。
これから私は、いったいどんな歴史を刻み続けるのだろうか。
子ども達に恥じることのない轍を刻んで行こう、いや、そうあるべきなのだろう。
ちょっとかっこよすぎる文章で今回は、おひらきといたします。