2007_07_01
梅雨は、一体どこへ行ったのかと思うほど
暑い暑い日が続いてますが、
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
私は、イベントで暑い東京を離れ北は北海道、
それも知床半島の付け根に位置する羅臼にお伺いいたしました。
羅臼港のお祭りの催し物としてショウを上演しました。
北海道も道東のこのあたりは、涼しいと言うより朝晩は、寒いぐらいでした。
6月にタンポポ見たのも初めてかもしれません。
羽田空港を午前7時40分に飛び立ち、
1時間半程の飛行で女満別空港に到着。
そこからレンタカーで羅臼へと向かうのでした。
実は、私、徹夜でした。
昨夜は、今回のイベントの作り物の準備やなんやかんやで
午前2時を過ぎてしまい、
ここで寝てしまうと決して起きられない、
寝坊すること間違い無しと考えた私は、
このまま寝ないで羽田に行った方が、間違いない、
遅刻しないと思ったのでした。
家から羽田空港までのタクシーの中も
飛行機の中も女満別空港からのレンタカーの中もずーっと寝ていました。
車や飛行機がどんなに揺れようが、
起きることなくただただ運ばれていったのでした。
現地の羅臼に着くまでに二度ほど起きたのですが、
最初は、止別でお昼のラーメンを食べた時でした。
見るからに「どさんこラーメン」で、おいしかったです。
そして、このお店がJR止別駅の中にあるというのか、
駅舎をそのまんま使ってお店をやっているのです。
止別駅自体は、無人駅なのでホームに出たり、
本当はいけない事なのですが、
線路にちょっとだけ降りたりしてみました。
そん時の写真です。
なかなかいい景色ですねえ。
こんなこと滅多に出来ることでは、ありません。
ついうれしくて線路に降りてしまいました。
車に戻って、また眠りの園に落ちてゆく私。
次に目覚めたのは、知床峠です。
写真だと判りづらいかもしれませんが、
山にはまだ雪(?)が残っているのです。
さすがにそばまで行って触ることは、できませんでした。
峠から下る時、眼下に雲海が見えました。
実に雄大な景色に感動しました。
あの下に目指す羅臼の町があるのだ。
羅臼の町に入って、まっすぐに明日の会場の下見と打合わせ。
その日から港の祭りは始まっているために
実際にステージを使ってのリハーサル等は出来なかったのですが、
現地スタッフさんと打合わせだけは出来ました。
そして、また、車の中の眠り人となりホテルに向かいます。
ホテルまで30分程、またまた爆睡です。
よくここまで寝れるもんだと自分でも感心しました。
夕食は、ホテル内のバイキング。
お一人様1尾でしたが、カニがありました。
私、カニには、目がない方でしてさっそく頂きました。
はっきり申し上げて、あまり美味しくなかったです。
水揚げして、茹でて、売れ残ったのを冷凍しておいて、
再度売ってみたけど売れ残ってしまい、それをまた冷凍して・・・
なんてのを繰り返したと思われる程にカニの肉(?)が
パサパサしてました。
6月中旬にバイキングのテーブルに出るのは、こんなもんかなあ、
と思いつつ結局、ミソまで全部食べました。
食後は、温泉があるにもかかわらず、
部屋のシャワーを浴びただけで、翌朝までまた爆睡。
起きたら、服は脱ぎ散らかしたまんまだし、
電気も着けっ放しで、お恥ずかしい限りです。
朝食も昨夜と同じ場所でバイキング形式の食事でした。
ほとんどのホテルがこのバイキング形式の朝食ですが、
私はこの場合、パンやコーンフレイク、サラダのような洋食系で攻めます。
どうしてかと言うと、あのナマ温い味噌汁が許せないのです。
責任者を呼んで「この味噌汁で顔洗って来い!」と
言いたくなるものばかりなのですから。
味噌汁は、やっぱりふうふう言いながら頂くものなのですから、
あんなぬるくてゴクゴク飲めるのは、
味噌汁と認めたくはないのです。
だから、洋食系になってしまったということです。
ホテルの入り口に取り付けてあるスピーカーからは、
石原裕次郎さんが歌う「知床旅情」が流れ、
その歌声に見送られながら会場へと向かいます。
イベントには、たくさんの方が集まってくださいました。
いつものことながら本当にありがたいことです。
イベント終了後、またまた車中の人となり、
女満別空港に向かいました。
昨日、あれだけ寝たので今日は、車窓の景色を楽しむ・・・
はずだったのですが、やっぱり寝たのです。
こうして、一泊二日の知床旅情は終ったのですが、
トータルで16時間以上は、寝ていた計算になり、
食う時と仕事以外は、寝ていたと言うトンデモナイ知床旅情で、
これが『旅情』といえるのでしょうか。甚だ疑問の旅でした。