2008_03_01
昼間の暖かさに春の訪れが近いことを感じる頃となりました。
このまま春になっていくのでしょうか。
それとも寒の戻りがあるのでしょうか、気になるところです。
気になるといえば、今、世間を騒がす「食」の問題。
これにまつわることを今回は書いてみます。
ですので、旅回りのお話は、また改めてということで。
今度の毒入り餃子事件からよく言われるようになった
日本の食べ物に対する考え方の甘さは、本当に反省しなくてはいけませんね。
以前にも書きましたが、私は、日本中を旅してますが、
古き良き日本の田園風景を見かけなくなりました。
時々鹿児島などで見かけると、心底、感動するぐらい見かけなくなったのです。
それだけ田んぼや畑が潰されて住宅地に変貌してしまったのです。
田んぼや畑を売った方が農業をやるよりずっと儲かる、
という社会現象が広まりましたね。
また、農業をやるより都会に出て働く方がずっと楽して儲かるから
農家を継ぐ人がいなくなる、
だから、余計に土地なんて売ってしまって都会に出ようという風になってゆく。
悪循環の塊です。
都市近郊では、「売るまでの間、畑を遊ばせておくのもなんだから、
葱でも植えてようか」的な農業が存在しました。
こんな農業は、日本史上、始まって以来のことです。
食べるための農作物を作らない農業が登場してしまったのです。
古来、日本人は、コメに対するもの凄い執着心で生きてきました。
稲は、ご存知の通り、亜熱帯の植物です。
そのコメを食べたくて日本人は、寒冷地の北海道にまで稲を植え、
コメを食べて来たのです。
今、北海道で一番収穫される農作物は、コメですよ。
高知県で見た田んぼは、絶壁ともいえるような山肌の急斜面に、
山のてっぺんまで田んぼを作ってました。
一番小さい田んぼなど稲をそれこそ三株植えたら
いっぱいになってしまいそうな大きさでした。
寸土を惜しんで田んぼにしてコメを作っていたのが、日本人だったのです。
これに付随して言えば、日本の国土の問題もあります。
日本の人口は、
江戸時代で大体、三千万人程で、明治・大正期で五千万人程度。
昭和20年で七千万人、昭和45年で1億人を越えたのです。
つまり、20数年で三千万人も増えました。(私もその中の一人です。)
人口が増えれば、それだけ食べ物が必要なのですから
その分だけ食料の輸入が進んだともいえます。
もちろん農業、漁業の技術的進歩あります。
食べ物をあまり輸入していない時代の人口が
その国の持つ国土で養える人口の限度と考えれば、
日本の国土では、五千万人が限度ということになってしまうのです。
判りやすく考えれば、食卓の上に載る食べ物の約60%は、輸入品ですから、
本来、半分しかなくてあたりまえであって、
食べて生きていける人間の数も本来半分だということになってきます。
それが日本の国土というものなのです。
そんな国土の国に
1億数千万の、これだけの数の人間が生きていこうとするならば、
もっと食べ物を作ろうとするのが本当の姿でなければならないのに、
自分で作るより
簡単でしかも安く手に入る輸入に頼ってばかりの日本人なのです。
以前、「平成のコメ騒動」なんて騒ぎがあったのを憶えていますか。
あの時も東南アジアの国々から急遽、大量にコメを輸入して、
しかも結局は余らせてしまったなんて事がありましたね。
もし、他の国が大凶作に見舞われたら日本はどうなってしまうのか。
いざとなったらみんな自国民を食べさせるのが最優先になり、
日本がいくら金を積んでも売ってくれませんよ。
今回の事件で日本の食のあやふやさが本当に見えたのではないのでしょうか。
また、「安けりゃいい」「楽なのが一番」
この考え方にどっぷりつかってしまっている
日本人の体質が顕著に現われた事件でしたね。
これは、食の事に限ったことではありません。
子育ても楽な方に楽な方にと考えてはいませんか。
単純に子育てに金を掛けろと言っているのではありませんよ。
例えば、自分が子供を抱えて重たい思いをするのがイヤなのでしょうか、
混んでる電車に子供を乗せたままべビィーカーを
そのまんま乗せて来る方が多くなりました。
すごい一家になると、母親だけでなく父親もしくはおばあちゃんまで
一緒にいるにもかかわらず、
子供を乗せたまま電車に乗り込んでくるのがいます。
母親以外に大人がいるなら、
誰かが抱っこして、母親がべビィーカーをたたんで乗ってくりゃいいのに、
自分達が楽したいもんだから
他の乗客の迷惑も考えずに乗り込んでくるんでしょうね。
なんでも楽な方にばかり考えて他の事を置き忘れていませんか。
子育てにお金を掛けるにしてもただいいものを着せる、
いいものを食べさせるためだけに掛けてませんか。
ちょっと穴が開いたからといって違うものを買い、
ちょっと疲れたから出来合いのおべんとうでご飯を済ます。
穴が開いたら自分で繕えばいいじゃないですか。
工作教室をやっていて思うのが子供たちが持っている道具等に
100円均一のお店で買ったものが大変多くなりましたねえ。
100均のモノ全てが悪いとはいいませんが、
ハサミ、糊、セロハンテープ、ホッチキスぐらい普通の文具で揃えましょうよ。
例えば、ハサミは切れ味が悪い分、子供は手を切りやすいし、
セロハンテープは、妙にべとついたり、糊はつきが悪っかたりします。
そんな道具で工作してても出来が悪くなるばかりで、
子供の創作意欲をかええって損なう結果になります。
「弘法筆を選ばず」なんて子供には無理です。
普通に買っても数百円をケチらないでください。
そんなところでケチっているわりには、
携帯電話の通話料に毎月、何万も掛けてるのでしょうね。
そんな楽ばかり考えて、
自分がどうすれば楽が出来るかばかり考えている親を見て
育った子供たちが社会人になって日本の担い手になっていった時、
この国はどうなってしまうのでしょう。
食の話からだいぶずれた感はありますが、根本は一緒です。
楽ばかり考えてる日本に明るい将来は望めないということです。
食べ物と子供はその国の根幹をあらわすものではないでしょうか。
それだからこそ、このふたつに対しては、国民全てが正面切って考え、
臨んでいかねばならないのです。
自分のモノは、自分で作る、
がむしゃらになって、泥だらけに自分の手を汚して作る、
このことを忘れてはならないし、そうすることを嫌ってはならない、
バカにしてはいけないということなのです。
また、このことを次の世代に伝えねばなりません。
コメを食いたくてどうしょうもなくて、
耕せるところは全て耕して稲を植え続けた日本人。
その末裔が我々なのですから、
そのことを決して忘れてはならないのです。