2011_05_01
私、今、地震酔いに苦しんでおります。
皆さんも同じかもしれませんが、一日に何度も「あれ?今、揺れた?地震か?」と、感じてしまうのです。実際には、揺れてもいないのに常時揺れている錯覚に惑わされております。
かみさん曰く「私の周りにも同じことを言ってる人が多いよ。」地震がいつ来るか、いつ来るかと思い続けて生活しているが、私たちをそうさせているのでしょう。いつまた、あの本震クラスの揺れが襲ってくるのか、心配でたまらないわけです。特に電車に乗っている時が不安でたまりません。まず、今揺れているのが、普通の電車として当たり前の揺れなのか?まさか地震の揺れではないのか?それすらも不安でいっぱいなのです。今、ここでまたあの大きな地震が来たらどうしよう、それが頭の中で大きくななっていくのです。
その上、テレビをつけても見るのもつらいニュースばかりです。
被災された皆さんの姿を伝えるニュースよりもっと見るのがつらいニュースが政治家たちのニュースです。相も変らぬことばかりやってますよね。政府の足を引っ張るようなことばかりの野党にもうんざりです。野党の存在とは、時の政府に批判をするのが存在意義ではありますが、今がその時なのでしょうか。国会を開催してること自体が無駄に思えるし、電力の無駄、時間の無駄にも見えてきます。みんな揃って被災地で瓦礫の撤去でもやった方がよっぽど世のため人のためになるのではないのでしょうか。
でも冷静なって考えてみれば、そんな国会議員を選んだのは、私たちなんですよね。原発を推進した議員たちを選んだのも私たちなんですよね。
「あんな人たちに一度も投票したことないぞ!」とおっしゃる方もいらっしゃるでしょうが、これが民主主義ってものなんです、多数決ってやつなんです。
私は、民主主義を否定しませんし、民主主義自体は、大変すばらしいものだと思っています。今回のことで痛感させられた政治家たちの情けなさは、つまるところ、国民の情けなさなのです。その情けない政治家を選んだのが私たち国民なのですから。
国民は、口では、民主主義を唱えながらそれを維持する努力を怠ってきたのではないのでしょうか。選挙の投票率を見れば、一目瞭然です。50%を超えたら「御の字」なんて、NHK紅白歌合戦じゃああるまいし。代表者を40%にも満たない投票率で自治体の長が決まってしまう民主主義ってなんなんでしょうか。「だって、投票したい人がいないんだもの」と口を揃えて言うのですが、それっておかしくないですか。「誰に投票したって同じだから投票に行かない」という有権者の多いこと、それっておかしくないですか。
やりたい人にやらせておけばいいんだよ的風潮が今のあの政治家たちを生み出した土壌なんです。皆さんが小学校の時を思い出してください。学級委員や生徒会委員を選ぶ時に選挙はやりましたよね。あそこからきちんとした「みんなの代表者を選ぶための方法の大切さ」「選挙とはいかなる重要性をもったものか」ということを教えなかったことに問題があります。選挙を体験する第一歩から間違ってしまったのです。そのまま中学、高校、大学と進んでいくうちに「やりたいやつにやらせておけばいいんだ」的間違った民主主義を覚えてしまったのです。自分で真剣に未来を考え、立候補者の考えを真剣に考えることを放棄してしまっているのです。選挙とはいかに大切なものかを教育するのを怠ったのです。それがひいては、民主主義の教育を怠ったことにつながったのだと思います。
これはなにも学校教育の関係者の怠慢がもたらした結果ではありません。家庭内の教育の怠慢でもあります。親が選挙に行かない姿を当然として見て育った子供たちに選挙の大切さがわかる道理があるわけがない。もし、今の政治家たちを批判するニュースショウを見た後の子供たちに「なんでそんな人たちが政治家なの?」と質問されてきちんと答えられますか。
今回の震災で今の政治家のダメさ加減を批判するのは簡単です。誰にだってできます。でも、その根本にあるものを考えてください。
もしかしたら、私たち国民は、本当に腹をくくらなければならないのかもしれません。政府も野党もダメなら、国会議員、政治家たちがダメなら、私たちは、その人たちに頼らぬ方法を模索し、東北の方たちを救う方法を見出さねばならないのです。そこまでやれば、この国は、本当に生まれ変われるかもしれません。でも、その時に国民の多くが「だったら、有能な政治家にもっと強大な権限を与えて、改革を推進させるべきだ!」と考え出したら、これはこれで、大変なことになってしまいます。
一歩間違えたらこの国に独裁者が誕生しますよ。全てを人任せにせず、自分たちの責任と義務をしっかり見据えて、これからのこの国を考えましょう。今回は、硬い話ですみません。