2011_06_01
以前よりこのHPをご覧いただいてくださっている方ですと私が毎年数度にわたり、広島市にイベントでお伺いしていることはご存じだと思います。
先日もGWに1回、その翌週にも1回お伺いしました。
そして、5月中旬のイベントは、会場が広島平和公園の敷地内にある会館でした。本当に大勢の方に来ていただきうれしい限りです。お越しくださった皆さんに心から御礼申し上げます。本当にありがとうございました。そんな思いと裏腹の私のあの日の思いを書かせていただきます。
本当の気持ちとしては、あの場所でイベントを行うのは、大変、心が傷みます。広島の平和公園で行うようなイベント内容ではないと思ってしまうのです。あの場所であんな馬鹿騒ぎをしていいのかと自問自答してしまうのです。
こう書いてしまうと、私どもを呼んでくださったイベント主催者の方々、お越しくださった皆様には、大変失礼な事とは思います。本当に申し訳ございません。でも、どうしてもそう考えてしまうのです。
あの原爆の爆心地で、原爆資料館のすぐ横で、こんなイベントをやっていいのかとついつい考えてしまうのです。それが私の仕事とはいえ、ここでこんなことしていいのかと考えてしまうのです。そう考えてしまうこと自体が間違っているのでしょうか。でも、あの場所の歴史的意義を思うと、歴史学を学び、一時とはいえその道で生きていこうと考えていた私にとっては、どうしてもぬぐいきれない思いがあります。
当日ですが、本番までのひと時を平和公園を散策しました。
大勢の市民が憩いの場として、多くの学生さんが修学旅行でしょうか、訪れていました。そこでどうしても気になったのが、原爆ドームを背にして、笑顔で記念写真を撮ってる観光客の姿です、しかもピースサインをして。
私が考えすぎなのでしょうか。でも、あの場所の歴史を思えば、どうしても私には理解できない行動なのです。写真を撮るなとまでは言いませんが、あの姿は決していいものだとは私には思えないのです。あの人たちは、あの日の広島のことを学校教育でどう教わったのか、疑問が生じます。
疑問が生じるのは、何も広島のことばかりではありません。
戦争のことをどうのように伝えようとしてるのか、子供たちの教科書を見て疑問が生じます。どうしても悲惨な被害を受けたことが多く書かれてるような気がします。それは確かな事実ですが、「なぜ、そのような被害を一般国民が受けねばならなかったのか、そうならざる負えなかったのは、なぜか。」という部分が教科書の中では足りないような気がします。
歴史が私たち教えてくれるのは、過去の事実であり、私たちがとるべき未来の指針なのです。未来を志す者は、過去の事実をしっかり把握しなくてはいけないのです。だから、学校で歴史を教えているわけなのです、本当は。学校で歴史と言えば、暗記科目のように言われがちですが、本来は、こういった未来を考えるためのものなのです。「暗記」という部分だけで言えば、すべての科目が、何かしらの暗記を必要とするわけです。
漢字、数式、方程式、元素記号等々すべてが暗記の部に属するわけです。それなのに歴史だけが「暗記の科目」と言われることに私個人は違和感を覚えるのです。こうしたところから考えを変えていかないと、歴史を学ぶ意義が失われてしまうのです。
また、戦争の歴史をただ被害者的立場だけを強調するのではどうかと思います。夏になると、戦争の悲劇を描いたドラマが放送され続けていますが、あれもどうかと思います。戦争のもっとも悪いところは、罪のない一般市民が無意味に殺されることです。その意味においては、あれらのドラマが間違っているとは思いません。でも、なぜ、そんな戦争が起こり、広島に原爆が落とされることになったのか、なぜ、多くの人が犠牲にならなくてはならなかったのかを今の日本人に考えさせるものを放送して欲しいですし、学校で教えて欲しいと思います。
昭和初期の日本の歴史をどうしてもっと子供たちに教えないのか。日本が朝鮮、中国、東南アジアでしてきたことをもっと子供たちに教えるべきではないでしょうか。国際関係、外交を軽視し、アジアの中で起こした数々の歴史をもっと教科書に載せてはもらえないのでしょうか。人は誰でも足を踏まれたことは覚えていても、踏んだことは忘れてしまうものです。それと同じで、受けた被害ばかりを強調する歴史の教科書はやめてほしいです。
この前、日本と韓国の学生に行った「あなたが覚えている日本と韓国の歴史上の人物を挙げてください」というアンケートの結果が新聞に載ってました。韓国の学生は、「豊臣秀吉」「伊藤博文」が第一位でしたが、日本の学生の第一位は、「ぺ・ヨンジュン」だそうです。情けないの一言です。
「ペ・ヨンジュン」さんが悪いわけではありませんよ。日本の学生が情けなさすぎる。でも、これでもわかるように、かくも日本の歴史教育は情けないものなのです。せめて「キム・デジュン」ぐらい答えろよ!
歴史とは、過去の事実を知るだけではなく、そこから未来の指針を模索するための学問なのです。
以上、元歴史教育者を目指していた私の思いでした。今回も堅い話ですみません。