わたし・久保田雅人(くぼた・まさと)のまわりで起きた「あんなことこんなこと」・・・。
全国でのイベント裏話や名物・名産、身の回りでのささやかな「出来事」をお話していくつもりです。
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登場人物は、ひょっとしたら、「あなた」かもしれません

この「日々つれづれ」、これまで21年の舞台裏を、
すこしずつご紹介しています ... 今回は、その23回目!
今回は、「50歳の私! ... 」を いろんな「想い」と「決意」を込めて ....。


今回も画像はありません

2011_09_**


 というわけで、50歳と1か月が過ぎてしまいました。

 ホテルにチェックインする時に伝票のような紙に名前や住所を書きますよね、年齢の欄に「50」と正直に書いていると、なんだか寂しい気がします。つい最近まで、最初に書く数字は、「4」だったのに、もう二度と「4」から書くことはないんだなあ〜、なんて変な感傷にふけてしまうのです。

 私の中で、男は40代までは「パシリ」をやっていてもいい、というのがあります。30代で本当の意味で仕事を憶え、上の人からボロクソに言われても『はい』『すみません』の二言しか答えられなくても、それは仕方のない時代であると思ってました。周りの諸先輩のされることを隅の方からじっと見つめ、何かを盗んでいくのが私の勉強でした。それだけに先輩から何を言われても『はい』『すみません』しか言えない時代が30代であると思っていました。

 例えば、私が番組の収録時に自分のアイデアを言えるようになったのは、30代前半の頃で、それまでは、スタジオで自分のアイデアなんかとてもじゃないが言えませんでした。自分が子供の時に見ていた番組を作ってこられた大先輩ばかりのスタジオなんですから、初めてテレビのレギュラーを貰った私なんかが自分の意見を言えるわけがない。30代で仕事がわかるようになったとはいえ、まだまだ実力がとものわない時期が続き、30代後半から40代になりかけた頃に少しだけ自分に自信が持てるようになります。そうして自分の実力や位置がわかってきたところで自分なりの演技プランやアイデアが言えるようになりました。

 でもその頃になると、自分の体の変化に気づきます、そうです『厄年』が来ます。まず、体力が如実に落ちました。『ここのシーンでは、こう動こう』と頭では思っていても体がついてこないのです。学生時代からなにかしらのスポーツをしていた人は別として、私のように運動とは全く無縁の人生を送ってきた方ならこの気持ちがお分かりいただけると思いますよ。このように始まった40代で、自分の意見がはっきりと言えるようになる、いや、ならざるをえないのかもしれません。
 でも、まだまだ『パシリ』の時代だと考えていました。特に私の場合、先ほども書いたように周りが大先輩ばかりですから、飲み会の店の予約に、二次会の手配、ご招待する方々への連絡等に始まり、当日は席順に会費の徴収に店への支払いに二次会への誘導まで『番組関係者の中では若い』私がやってました。でも苦痛ではありません。これも勉強ですし、今の自分がなすべきこととしてやってました。

 仕事の面でも充実が見られるようになったのも40代です。これまでにやって来たことをしっかりと見つめ直したのが40代です。ただ勢いに任せてきた30代ではなく、やっと地に足の着いた仕事を自分なりに考えて実行できたのがとてもうれしかった。家庭的には、子供たちも成長し、親の手から離れだして行きました。手がかからなくなった分だけ、金がかかるようにはなりました。父親としては、うれしいやら寂しいやら、そんな時代でした。

 そして50代になってしまったのです。これからは、『パシリ』をせず、人を本当に上手に使うことをしなくてはなりません。もう自分がでしゃばって、あれこれするのではなく、指示を出す立場の自分を確立しなくてはいけないと考えます。そして、今までの仕事を集大成するようなことをしなくてはいけないというのが50代ではないのでしょうか。年季が入っている分それなりのことをしなくてはいけないと考えてます。

 テレビの設定は、20代後半で変わりませんが、年季がいった分だけの仕事をしようというのが今の気持ちです。





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