2011_12_01
今年も12月になってしまいました。本当にあっという間の一年でした。
今年はなんといっても震災で大変な一年でした。被災地の皆さんが少しでも暖かい年越しが過ごせますよう、願いております。
この一年、震災を体験した日本人はどう成長したのでしょうか。「絆」「がんばろう日本」と掛け声はよいのですが、どこまで本当に「絆」を感じ、「がんばろう」としてたのでしょう。これから本当に必要な支援とはなんだろうと思います。
義援金の呼びかけもずいぶんと減ったように思いますし、被災地での自殺者が多いという記事には心が痛みます。
この震災でわかったのは、人間は、自分が思っている以上に卑劣なことが平然とできるのだということ、また、そうした自分を発見した時の衝撃の大きさです。
以前にも書きましたが、震災直後の東京人の買占めなどの行動の醜さと言ったら、同じ東京人として恥ずかしいったらなかったですね。あの買占めに走った人たちだって、何にも混乱の無い平常時では、いい人、いいお父さん、いいお母さんでしょう。でも、あのようなちょっとした(東北の被災地に比べたら、ささやかなものです。)混乱で、あのようになってしまうのですね。
震災ですべての電車等の交通機関が停止したあの夜、整然と歩いていた東京人が、その後に賞賛されました。でも、あの後の買占め騒動は、本当にみっともないものでしたね。自分の分だけでも買いたいと、早朝からスーパーに群がった人々。みっともなかった・・・と言いつつも私もそのうちの一人です。確たる流言飛語があったわけでもないのに、店やスーパーでの品薄がテレビで放映されると「本当に食べ物が無くなってしまうのか」という恐怖に駆られてスーパーに早朝からお米を買いに行きました。冷静に考えれば、その時に家に有ったものだけで、2〜3日は大丈夫だったはず。にもかかわらず、テレビの中継を見ただけで、そんなことをしてしまったのです。あの時、必死の思いで買ったお米が未だに台所の床下の収納にあるんだから、恥ずかしいったらありゃしない。あの日、スーパーで店頭に出たての米袋を奪い合った私の必死の形相は、なんだんたんでしょう。みっともない形相だったんだろうなあ、きっと。お米だけじゃなく、納豆を必死に探した日々もありました。なんであんなことをしたんだろうと、今にして思えば、恥ずかしい限りです。今じゃあ震災前と同じように店頭には、米も納豆もミネラルウオーターも電池もあふれかえってます。この春以降、懐中電灯を買っている人を見たことが無い。あのバカ騒ぎを東京人は、私も含めて、決して忘れてはいけないのです。あの時の自分たちの形相を忘れてはいけないのです。
それから、東京人として情けなかったのは、福島からの瓦礫等を東京で引き受けるにあたって、猛反対した人が結構いましたね。あれってどうでしょう?福島原発は、東京のための発電所であって、福島の人は、1ワットも使ってないんですよね。それを思えば、東京人は、瓦礫ぐらい進んで引き受けるべきでしょうに。私たちの電気を作ってた原発のために、福島の人々は苦しんでいるんですから、それぐらいは当たり前と思うくらいでなくてはいけないと考えます。原発で潤っていた人もいますが、放射能で苦しんでいるのは、原発の恩恵を1円たりとも受けていない人々が多いわけですよね。そのことを考えれば、東京人は、福島に足を向けて眠れないと思います。
そして、この夏、節電が例年になく実行されました。JR、地下鉄などは、昼間は、平常時の7〜8割程度の本数で運行されてましたし、夜のネオン、照明もずいぶんと減らしていました。でも、9月になると、元の状態に戻りました。が、戻さなくてもよかったのではないでしょうか。私の移動手段は鉄道がほとんどですが、夏の臨時ダイヤでもそんなにつらくなかったと思います。夜のネオンが減ってもなんの苦労も悲しみも感じませんでした。震災のこと、福島のことを東京人が忘れないためにも、あの節電状態を続けていた方がよかった気がします。
食べ物の品数も、電車の本数も、ネオンの数もみんなが元通りになったことは、喜ばしいに違いありませんし、そのために苦労された方も多いと思います。
ありがたいことだとわかってはいますが、東京人が自分たちの醜さや電気のありがたみを忘れないためには、節電のままでもよかったと考えてしまうのです。
もちろん、この冬も年末も節電が呼びかけられてはいますが、それだけでは、東京人はわからないと思います。
もっと現実に自分たちが苦しまなとわからない人間がほとんどなんですから。